qiutian_de_fengjinghua-005

フランス語の原書では、3,000ページにも及ぶ大作。
日本語に訳した版では原稿用紙に換算して一万枚以上となる。

この作品、1913年から1927年までかかって刊行されたが、
版を改める度にプルーストが
(防音のための いわゆるコルク部屋で)加筆していき、
ついには、このような膨大な作品になっていった。

この作品、全7篇のうち5篇以降は、
実際のところ、彼の満足な形での刊行は成されていない。
加筆を必要としているため、
本当の意味では、この小説は未完状態となっている。
ことによると、今の二倍ほどの分量になったかもしれないとされる。

一文一文が長く、難解に絡み合った文章であるために
読むのに相当、手こずらされる。
小説の技法としては、<私>が語り手になっていて、
自伝的小説とされるが決して事実として読んではいけない。

舞台となっているのは、フランスの社交界。
そこに渦巻くスノビズム、恋愛、同性愛、
当時、話題となっていたドレフュス事件などを織り込み、
一方にはユダヤ人問題が複雑に絡んでいる。

読み解いて行くには、余程、趣味が合うとか、
ヒマ人であるとかでなければ、最後まで行き着くことができない。
そして、「こんな文学作品に関わると碌なことにはならない。」

そう思ったのは、大学でこのテーマのゼミをとったときだった。
爾来40年近い歳月が経過した。

その思いは深まることはあるが薄れることはない。
そして、ついには確信となって今に至っている。
この小説の出発点は、パリの南西部に位置する
"イリエ-コンブレ(ILLIERS-COMBRAY)" の村での出来事から出発する。

そして、この夏、この村を訪ねるためにやってきた。

そして、今、中心街へと向かう道を歩む。
通りは閑散としている。
街並の向こうに小さく、教会の鐘塔が見えてくる。

そして、
教会堂のすぐ脇に、
この小さな村にはふさわしくないほどの立派な鐘塔が
偉容を誇るようにしてたっている。

小説の中では、教会の鐘塔と街並とが、
まるで羊飼いと羊のように見えると表現されている。
この長編小説の萌芽の部分であり、
小説全体を映し出す核心的部分に到達しつつある。
(つづく)